昨今の「与える」の用法は本当に正しいのだろうか。
勇気と希望を与えられるように頑張ります とか、
感動を与えられるようになりたいです とか。
「与える」を使って作文せよというテスト問題があったとして、
上記のようなフレーズを用いたら、採点はどうなるんだろう。
僕の中での「与える」は、
餌を与える
チャンスを与える など、
上から下に向かって何かが供される場合に使われるイメージ。
だから「感動を与えたい」という言葉を聞くと、「なんだこのやろう」という気分になる。
勇気だ希望だ感動だのと、ずいぶん風変わりなものを「与えて」下さるおつもりのようだが、平にお断り申し上げる。
そのようなものは「与えて」頂かなくてけっこう。
勢いでさらに書きますが、
「感動を与えられるような試合をしたいです」は、やめて欲しい。
志が低すぎるし、かなり傲慢でもあるし、そもそも本末が逆転している。
そんなスケベ心は捨て置いて、ただただ試合に集中しなさいよ。
この時のために、いろ~んなものを犠牲にして精進してきたのでしょう。
血の滲むような努力の積み重ねが今まさに結実しようというその時に、なんで他人の「感動」に頓着する。
そこから先は、あんたの時間だ。誰に遠慮もいらぬ。
自分のために戦っておくれ。自分の誇りをかけて。
その様子を見て感動するかどうかはこちらの勝手。
勇気を貰うかどうかもまた勝手。
妙な気遣いはご無用。
・・と、思います。
久々に犬 携帯のカメラから
毛が 伸び放題 伸び放題
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